回復期において、私を最も深く苦しめていたのは長引く症状でも、体調の波の激しさでもありませんでした。
それは「比較思考」です。
SNSを開けば、順調そうに見える他人の姿が目に入ります。でも、それはミュートしたりフォローを外したりすれば意図的に視界から消すことができます。 しかし、私の中には、絶対に逃げ場のない最強の敵がいました。
それは、「あの頃の自分」です。
今回は、過去の自分という「失った基準」で自分を裁き続けていた私が、どのようにしてその最悪の比較対象を手放し、「今の速度」で呼吸できるようになったのかをお話ししたいと思います。
「前はもっと普通に動けていたのに」と自分を責めて苦しんでいる方に、何かのヒントになれば嬉しいです。
空白の時間に鳴り響く「警戒BGM」

回復期に入り、無理に動き続けることができなくなると、生活の中にふと「空白の時間」ができることがあります。
忙しかった頃にはなかった、ポツンとした静かな時間です。
以前の私は時間があればやりたいことが山のようにありました。
「もっと時間があれば、あれもできるのに、これもやりたいのに」と。
しかし、いざ休養によって時間ができても今の私にはそれがまったくできませんでした。
パソコンを開くことも、文字を読むこともできないのです。
すると、その静寂の空白の中で、自分を責める声が始まりました。

「時間があったってできないじゃないか」
「あのころの目標を忘れたのか」
「なんで前みたいに動けないんだ」
そんな内側の声がまるで頭の中で鳴る「警戒BGM」のように、少しずつ音量を上げて私を追い詰めていきました。
調子が上がらない日や、少し作業をして疲れて横になってしまった日ほど、この声は大きくなります。
現実の今の状態ではなく、「失った基準」で自分を裁き続けること。
これが、回復期の私を最も深く傷つけ、絶望のループに引きずり込む最大の要因だったのです。
必死に追いかけていた「幻の理想像」


なぜ、私はそこまで過去の自分と比べてしまっていたのでしょうか。
それは私が無意識のうちに、「あの頃の自分」を「一番元気で、何でもできていた理想の姿」として設定していたからです。
だからこそ、そこに早く追いつかなければ「私は遅れている」「どんどんダメになっている」と焦り続けていました。
しかし回復期の中で立ち止まり、ゆっくりと過去を振り返ったとき、一つの残酷な事実に気がつきました。
私が必死に追いかけていた「あの頃の自分」は、決して理想の姿なんかではなかったのです。
当時の私は、寝る、食べる以外のほとんどの時間を仕事に費やしていました。
時間があればパソコンに向かい、1日に18時間仕事をし続けることも珍しくありませんでした。
とにかく全力投球で、息継ぎもせずに走り続ける。
それが、私の「当たり前」の働き方であり、生き方だと思い込んでいたのです。
「強制シャットダウン」が起きるまで、無理に気づけなかった


ある日、そんな生活が唐突に成り立たなくなります。
それまでは無心でやり続けたのに、どうしてもパソコンに向かえなくなりました。
少しできない、気分が乗らないといったレベルではなく、「もう一歩も動けない」という状態です。
文字が記号のように見え、パソコンに向かうと吐いてしまう。
まさに、心と体の「強制シャットダウン」でした。
本当に恐ろしいのは、実際にその状態になって一歩も動けなくなるまで、自分がどれほど無理をしていたかに全く気づけなかったことです。
過去の自分は、決して健康で輝いていたわけではありません。
無理をして、怯えながら、自分の体の悲鳴を無視して体を壊すまで耐え続けた結果の姿です。
常に神経を張り詰め、限界までアクセルを踏み続けた「強制シャットダウンを起こす直前の姿」だったのです。
それに気づいた瞬間、私の中で比較の基準が音を立てて崩れました。
あの頃の自分に追いつくということは、再び「壊れる前提の生き方」に戻るということではないか。
私は、そんな恐ろしい状態を「回復の目標」に設定し、そこへ向かって必死に今の自分を鞭打っていたのです。
不良品の基準を手放し、「今の自分の輪郭」を知る


「あの頃の自分」という最悪の比較対象を捨てるための唯一の方法は、過去の自分を「失った輝かしい姿」として扱うのをやめることでした。
あそこに戻れないということは決して「後退」や「敗北」ではありません。
私が失ったのは、健康な自分ではなく「無理をし続ける働き方」だったのです。
そう捉え直したとき、不思議なことに頭の中の雑音が一気に消失しました。
「遅れている」「早く戻らなければ」という焦りを生み出していた燃料がなくなり、ただ「今の私」だけがそこに残ったのです。
前へ進んでいるかどうか、過去の自分よりできているかどうかはもうどうでもよくなりました。
比較をやめた私は、具体的な行動を変えました。
まず、生活記録表を使って自分の働き方や過ごし方を視覚化しました。
記録をつけてみると、自分がどれだけ無理をして生きてきたのか、そして今も放っておくと限界を超えてしまう癖があることが、はっきりと目で見えるようになりました。
そこからは、作業の際に必ず「タイマー」をつけて休み時間を持つようにしました。
タイマーが鳴るたびに、「今日どのくらい働いている?」「考えただけで、しんどくならないか?」と自分に問いかけます。
今の私にとって重要なのはあの頃のように長時間動けるかではなく、「今の自分が削れていないかどうか」「明日も続けられそうか」という連続性の基準だけになったからです。
回復とは、失った自分を取り戻す戦いではない


タイマーで自分の限界を管理し、削れない範囲で動くようになってから私の中に新しい変化が生まれました。
徐々にですが、仕事ではない時間を「楽しむ時間」として持てるようになってきたのです。
休むことに罪悪感を抱くのではなく、映画を観たり、本を読んだり。
そうした時間を、ようやく心から味わえるようになりました。
比較をやめたとき、私は初めて「今の自分の速度」で呼吸できるようになったのです。
もし今、同じように「前はもっとできたのに」と、過去の自分と比べて苦しんでいる方がいたら、一度だけ立ち止まって、自分にこう問いかけてみてください。
「その頃の自分は、本当にあなたが目指している姿ですか?」
かつてのあなたが、無理をして、何かを削って、限界ギリギリで立っていた姿だったのだとしたら。
そこに戻ることは、決してあなたの幸せには繋がりません。
立ち止まって過去を俯瞰したときに、あなたが「本当になりたい姿」が見えてくるひとつのきっかけになるかもしれません。
回復期とは、失った自分を取り戻すための戦いではありません。
自分を削らずに生き延びるための、新しい基準を作る静かな準備期間なのです。
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