回復期。それは、暗く長いトンネルからようやく光が見え始めたような、嬉しいけれど同時にとても不安定な時期です。
少しずつ動けるようになってきた嬉しさと「また無理をして崩れてしまうのではないか」という不安。この二つの感情の間で揺れ動いている方は多いのではないでしょうか。
私自身も長い回復期の中で何度も失敗を繰り返し、そのたびに深く落ち込んできました。良くなったと思っては崩れ、進んだと思っては引き戻される。その繰り返しの中で、私は自分を苦しめていた「決定的な勘違い」に気づきました。
今回は、私が回復期に陥っていた罠と、度重なる失敗の末にたどり着いた「本当の回復の基準」についてお話ししたいと思います。現在同じように悩んでいる方の、何かのヒントになれば嬉しいです。
私が陥っていた「できた=回復」という思い込みの罠

休養を経て少しずつ体調が上向いてくると、これまでできなかったことがふとできるようになる瞬間が訪れます。
「書ける」「頭が動く」「集中力が続く」。
休んでいた時間が長かった分、この「できた」という事実が私は純粋に嬉しかったのです。
当時の私は、「できた=回復だ」と完全に思い込んでいました。
作業ができるということは気持ちも上向いてきている証拠であり、このまま進んでいけば元の状態に戻れるんだと信じて疑いませんでした。
特に、noteを書いて反応をもらえた時は危険。
スキがついたり、フォローされたりすると、アドレナリンが一気に出て冷静な判断ができなくなります。
「まだできる」「今日はもう少し書きたい」。
しかし、その代償は翌日に必ずやってきます。
強い疲労感やしんどさに襲われ、しばらく何もできなくなってしまうのです。
私は「5時間もやってしまった」という作業の長さ悪かったのだと自分を責めました。
しかし、本当に間違っていたのは行動そのものではなく、「体の声を完全に無視していたこと」。
どんなに少しの作業であっても、それによって「明日できない状態」になるのであれば、休むべきタイミングだったのです。
私は「どれだけできたか」という点にばかり目を向け、そのあとに自分がどうなっているかを見ていませんでした。
一番危険だったのは、不調の日ではなく「調子が良い日」

回復期において私が一番警戒すべきだったのは、決して「調子が悪い日」ではありませんでした。調子が悪い日は自然とブレーキがかかり、無理をせず慎重になれるためある意味安全だったのです。
本当に怖かったのは、「少し元気に感じる日」「妙に気分が軽い日」「やる気がある日」でした。
「今日は大丈夫かもしれない」「今のうちに進めておきたい」「この前向きな感覚を逃したくない」。
そういう日に限って、私は「いける感覚」という罠にハマり、何度も状態を大きく崩していました。
回復が進むとある程度は動けるようになりますが、それは本当の意味での安定ではなくただの「一時的な回復感覚」に過ぎないことが多かったのです。
少し負荷が下がっただけで、脳が「もう大丈夫だ」と省エネによる誤判定をしてしまう。
この錯覚が起きると、自分でも気づかないうちにブレーキが外れ、アクセル全開で突っ走ってしまいます。
そして頭の中に、回復期と最悪の相性を持つ魔法の言葉が浮かびます。
「今日だけは大丈夫」。
この発想が出た瞬間、ほぼ確実に負荷超過が始まっていました。調子が良い感覚のままに全力以上の力を使ってしまい、結果的に次の日に大きく揺り戻される。
回復とは直線的に良くなるものではなく、上がったり下がったりを繰り返す「螺旋階段」のようなものだということを、当時の私はまったく理解していなかったのです。
回復を根底から壊す「比較思考」の破壊力

無理をして崩れる原因は、気分の波だけではありませんでした。もう一つ、私を深く苦しめていたのが「比較思考」です。
回復がうまくいかない時ほど、人は誰かと自分を比べたくなります。
普通に働いている人、順調に回復しているように見える人、そして「以前の自分」。
特にSNSは危険でした。目に入るのは、うまくいっている人や前へ進んでいる人ばかり。「あの人はもっとできているのに」「自分だけが止まっている」「なぜ自分は進めないのか」。
比較の対象は他人にとどまらず、「過去の普通に動けていた自分」や「理想の状態」にまで及びました。
現実の今の状態ではなく、「失った基準」で自分を裁くようになっていたのです。
比較が始まると、ほぼ確実に「焦り」が生まれます。
焦るから無理をする。無理をするから崩れる。崩れると不安になり、さらに比較が強まる。この地獄のような悪循環の中に、私は長く閉じ込められていました。
しかもそれは誰かに強制されたわけではなく、自分自身で勝手に比較し、自分で回復を遠ざけていたのです。
このままではいけないと思い、私は意図的に比較材料を徹底的に遮断しました。キラキラしたSNSは見ない、過去の自分と比べない、理想を基準にしない。
すると、驚くべき変化が起きました。
安心感というよりも、「頭の中の雑音の消失」でした。
「遅れている」「早く戻らなければ」という焦りを生み出していた燃料が絶たれ、私ははじめて「自分のペースでいいんだ」と、今の自分の速度で呼吸ができるようになったのです。
失敗から導き出した「本当の回復」の3つのルール

度重なる失敗と遠回りを経て、私は回復を進めるための判断基準を180度反転させました。今、私が徹底して守っているルールは以下の3つです。
1. 「できた」より「続けられたか」を見る
その日の作業ができたかどうかではなく、「次の日も同じように動けるのか(連続性)」を基準にします。
朝起きたときや、作業の区切りごとに「これをやって、明日しんどくならないか?」と自分に問いかけます。考えただけでしんどくなる日は、迷わずオフにします。
2. 「やる気」や「気分の良さ」は信用しない
「できる気がする」という感覚ほど疑うべきものはありません。気分ではなく、疲労感や体の重さといった「体の反応」を注意深く見ます。
どれだけ気分が良くても、「これをやったあと、明日も問題なく動けそうか」という問いに対してYES以外なら、例外を作らず絶対に先へは進みません。
3. 調子が良い日ほど、意図的にブレーキをかける
調子が悪い時を無理に引き上げようとするのは不可能です。
コントロールすべきは「調子が良い時」です。
調子が良い日ほど慎重に扱い、やりすぎないように意図的にセーブする。回復期に必要なのは、波をなくすことではなく、「波を大きくしないこと(振り幅を広げないこと)」なのです。
おわりに:回復とは、自分を制御する過程

回復期に本当に必要だったのは、「頑張れる日」を探すことでも、前へ進むための成長でもありませんでした。
必要だったのは、「崩れない基準」を持ち、自分を削らずに生き延びる技術を身につけることだったのです。
調子ではなく、消耗を見る。
気分ではなく、連続性を見る。
今の私も、まだ完ぺきではありません。
できると思ってついやりすぎてしまい、次の日にしんどくなってしまうこともあります。頭でわかっていても、同じことを繰り返してしまう時もあります。
でも、だからこそ、気づいた時には必ず立ち止まって自分に問いかけるようにしています。
回復とは、ただ前へ進むことではなく、こうして「自分自身を制御できるようになる過程」なのだと今は思っています。
これからも私は、このルールを守りながら、自分の体と心に丁寧に問いかけ、焦らずに自分のペースで歩んでいきたいと思っています。

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